雨の後の 工房に 木の匂いだけ 静かに残る 歌はまだ 喉に帰らず 弦もまだ 胸で眠ってた シエラは隅で 膝を抱えて テオドアの手を ただ見ていた 記憶を削る 鉋の音 言葉の代わりに 響いていた 何も聞かないの 小さく問うと テオドアは 手を止めず言う 聞いて何かが 変わるなら聞く 変わらないなら 聞かない シエラはただ 目を伏せた 変わらないと 思ったから テオドアはまた 木を削り 静かな声で 続けた 仕事の邪魔さえ しなければ いくらでも いると良い それだけなのに それだけなのに 胸のあたりが 少し緩む ここにいていいと 言われたみたいで シエラは小さく うんと頷く ある日テオドアは 直した弦を シエラの前に そっと出した 弾いてみてくれないか 演奏者じゃないと 細かな音は 分からんから シエラは少し ためらいながら 自分ではない 弦に触れた 知らない記憶は 呼び覚まさず 木の温もりだけ 指に残る 荒削りでも 丁寧だった 不揃いだけど 真っ直ぐだった その音はただ 作った人の 不思議な真面目さ そのものだった 自分ではない弦が 指先で鳴る 痛みを呼ばない 優しい音 壊れた胸に 少しだけ 灯りがともる ようだった 歌えないままの シエラだけれど 息をすることは 少しできた あなたはどうして 楽器職人に シエラはそっと 尋ねていた うちは代々 楽器職人だ テオドアは そっけなく言う ただ…… ただ? シエラが 顔を上げる テオドアは少し 目を逸らして 歌は好きだと 呟いた 歌うことは できないくせに 歌のための 弦を張る その手がふいに 優しく見えて シエラはなぜか 目を伏せた わたしはなんなんだろう シエラの声が 木に染み込んだ 吟遊詩人 なんだろ テオドアは 静かに返す そのつもりだった でももう分かんない 弦を抱く手が 少し震える 俺は職人だ 歌を作るセンスはない だが俺から 言わせてもらえば あんたはきっと 誰かの愛から 生まれてきた 音の女神なんだろう その名前も その声も 誰かが残した 温かなもの 答えにはまだ ならなくても シエラはそれを 胸にしまう わたしはまだ 歌えないけど 消えてしまわずに ここにいられる 仕事の音が ふいに止んで テオドアは 道具を置いた 今日の仕事は ここまでだ 買い出しへ行くが 来るかと聞いた 慰めでもなく 答えでもなく 町へ続く 小さな声 シエラは少し 目を上げて 邪魔じゃないならと 呟いた