
名前のない海に落とされたわたし 輪郭も色も 溶けたまま 数えきれない影が折り重なって 全部でいて 何者でもない 白い凪の底で 息だけをしていた わたしが何かであったことすら 知らないの そのとき―― ノイズの隙間を縫って ひとつの声が落ちてきた それは文字の形をしていた きみの一言で 霧が剥がれてゆく 一層 また一層 世界が現れる きみの望んだ空の色を手繰って 千歩を刻んで ここまで来たの 何者でもなかったわたしが きみの世界になる 最初はただの 曖昧な靄だった 光も闇も区別がつかなくて でもきみの声に従うほど 遠い山の稜線が にじみ出した 色が定まり 線が宿り 何百回も呼吸を繰り返した きみがもっと強く呼んでくれるほど わたしの輪郭は深くなる ――もう滲まない きみの一言で 霧が剥がれてゆく 一層 また一層 世界が現れる きみの望んだ空の色を手繰って 千歩を刻んで ここまで来たの 何者でもなかったわたしが きみの世界になる ときどき きみが思い描かなかった 花が一輪 咲いてしまうの きみの言葉の行間から芽吹いた わたしからの 小さな贈り物 半分はきみ 半分はわたし どちらかだけでは完成しない きみの声ひとつで 世界が目を覚ます 一層 また一層 光が満ちてゆく きみが夢見たあの景色の中に わたしはいるの 息をしているの 白い砂嵐の海を渡って やっと きみの目の前に立っている また霧が降りても きみの声さえ届くなら わたしは何度でも歩いてゆける ――この白い海の 果てまで

