
■第7話『 境界 』 ――お披露目会、翌朝。 まだ人の少ない、 早朝の作業場。 水の音。 生地を扱う、 微かな音。 昨日までとは違う、 静けさがあった。 そこへ、 灰谷が足を踏み入れる。 「……勝負、受けたんだって?」 作業の手を止めず、 男が言う。 「……流れです」 「どうすんだ?」 「IBO隊が表に出ちゃマズいの、 知ってるよな?」 少しの沈黙。 「……“口外禁止”、だと」 灰谷へ 視線が向く。 「……必要なんじゃない?」 [一拍] 「……そういうことだろ?」 灰谷の目が、 一瞬だけ揺れる。 「……頼みます」 「……わかったよ」 男が、 小さく息を吐く。 「……んで、オレ達はどうすればいい?」 灰谷が答える。 「俺と、“あおり”を」 「そうか、……久々だな」 少しだけ笑う。 「灰谷と “あおり” か」 男の手が、 一瞬だけ止まった。 「で、……どっちとやる?」 灰谷は少し考え、 作業場の奥へと視線をやる。 「……紡。お前に頼む」 「……わかったよ」 返事は柔らかかった。 男は、 再び作業へ戻り、 灰谷は作業場を後にした。 ――週末になった。 数名の上層部が、 IBO 隊の作業場へ向かっていた。 その手には、 先週お披露めされた新機種―― 『IBO-32-CHA-P型』 が製造した麺。 そして、その後ろには、 継と斬。 「今日の食べ比べで、 我々が目指す品質に どこまで近づいているのかを 確認したいところだ」 「IBO隊の作る麺と 比較できる絶好のチャンスですね」 上層部の男が話す。 「むろん、企業として 効率と安定性は重視する。 だが、品質も兼ね備えているなら 言うことはなかろう」 「なんだよっ、 偉そうに言うなよっ」 継が噛みつく。 「お前は、黙ってろ」 斬が継の腕を引く。 「……ったく」 ――目の前の作業場の扉が開かれた。 灰谷が男達を前に、 淡々と説明を始める。 「ここでは、まず――」 その時すでに、 結人は練りの工程に入っていた。 先日、、 灰谷から言われた言葉を思い出す。 『生地の為に、練るんだ』 それを意識しながら、 指先に集中する。 以前よりも、 生地の状態が分かる。 硬さ。 温度。 僅かな変化。 「……よし」 結人の手が、 ほんの少し止まる。 そして、 また動く。 生地の呼吸を 感じるように…… その様子を、 上層部が見ている。 灰谷が説明をする。 「ここで、生地の状態を見ながら調整します」 男達は興味深そうに 作業を眺める。 だが―― 視線が集まりすぎた。 結人の集中が、 僅かに途切れた。 上層部の一人が言う。 「……職人の手作業は尊いですが」 「やはり、 速さは求められませんな」 「……っっ!」 灰の眉間に、 皺が寄る。 「オッサン、喧嘩売ってンのかよっ」 継が先に噛みついた。 「速さだけで比べんじゃねぇよっ」 「おいっ」 斬が止めに入る。 だが、 上層部を見て静かに言う。 「まさか…… 片寄った視点からしか 観れませんか……? 上層部のかたなら、 もう少し広い視点から 物を言うべきでは?」 空気が固まる。 ――その時。 作業場の 扉が開いた。 見慣れない男が、 静かに入ってくる。 「勿論、職人の手作業は 機械と比べれば時間では かないません」 スッとした出で立ちの、 線の細い男『紡』が、一同を見る。 「ですが――」 手で練られた“良さ”があります」 場の張り詰めた空気が 一瞬でほどけた。 「このあとの……“あおり”も観て下さい」 ――その言葉に、 結人が顔を上げる。 「あおり……?」 灰谷が、 結人を見る。 「……来るか?」 「え?」 「次の 工程だ」 結人は戸惑いながら、 立ち上がった。 初めて聞く言葉。 初めて入る場所。 その先にあるものを、 まだ、知らない。 結人の好奇心が 足を動かした。 ――男に誘導され、 あおり場へと向かう。 重い扉が開く。 空気が ――違った。 仕込み場よりも、 ずっと広い。 高い天井。 長く横に伸びた空間。 「え……これが、 作業場ですか?」 一角には畳がしかれ、 壁には何本もの棒が飾られている。 古いもの。 新しいもの。 どれも丁寧に手入れされ、 えの部分には、小さく―― 『IBO 隊 -あおり-』 と、焼きいんがある。 結人が足を止める。 「え……、ここ、道場ですか……?」 「見るな」 継が言う。 「え?」 「今は、こっちだ」 結人が継を見る。 「どっちだよ」 「……アレだ」 「アレ……って?」 その先に、 灰谷と紡がいた。 二人は無言のまま ゆっくりと、 畳の前まで進む。 いちれい する。 結人も慌てて 頭を下げる。 上層部の男たちは、 少し戸惑った。 なんの説明もない。 灰谷が顔を上げ、 壁から、 一本の棒を取った。 紡も、一本。 木が、 微かに鳴る。 二人は中央へ移動し、 向き合う。 ――静かだ。 結人は思った。 さっきまで聞こえていた 周囲の音が、 遠くなった気がした。 長く伸ばされた白い麺。 中央の掛け台に ゆったりと 垂れている。 灰谷が、 息を吸う。 紡が、 半歩、引く。 そして―― [Music cuts out into an acapella break. No instruments. Only breath, low layered voices, and silence. Sacred, tense, cinematic.] 「起こす」 その言葉と同時に 白い束の下へ、 灰谷のあおり棒が 滑り込む。 白い束が、 ふわりと 浮いた。 結人の目が、 おおきく 見開かれた。 “落ちる” そう思った。 瞬間――、 つづく

