
夕暮れの線路を 電車がひとつ 遠ざかる 出汁の湯気の向こう 今日も灯りをつけよう 暖簾を出して 米を研いで 小さな椅子には クレヨンの跡 煮物の鍋を 弱火にしたら 陽が僕の裾を引く 「もうちょっと待ってね」 それだけで笑うから 今日も悪くないなって 本当に そう思うんだ 引き戸の音がするたび 顔を上げる癖なんて いつからだったかな いらっしゃい 今日は何にする? 寒いなら あったかいものにしよう いつもの席が空いてるよ なんて 別に意味はないけど おかえり なんて言うほど 僕はまだ何も知らないから ただ また来てくれたことが 少し嬉しい それだけでいい 陽が描いた 丸い何かを 「上手だろ」なんて見せてみたり 君がいる日は よく笑うんだ だからかな なんて思ってる 閉店の札を返して 食器をひとつずつしまう 静かになったカウンターに さっきの声がまだ残る 明日の仕込みをしながら 君が好きだった味を また作ろうと思った ただ それだけさ いらっしゃい 今日は何にする? 疲れたなら ゆっくりしていきなよ 急がなくても大丈夫 ここは そういう店だから 「またね」って手を振る陽の 隣で僕も笑ってる 君が曲がり角を消えるまで 見ていたことは 言わなくていい 足りないものを数えるより ここにあるものを守れたら それで十分だと ずっと思ってた 幸せなんて もう欲張らなくていいって なのに最近 一人分だけ 考えることが増えた この皿は好きかな 今日は来るかな ……変だな いらっしゃい 今日は何にする? 君の顔を見てから決めようか 陽もさっきから待ってたよ 僕は……まあ ついでだけど おかえり なんて言葉が いつか自然に似合うのなら そんな未来も悪くないと まだ名前のない気持ちで思う 今日も湯気の向こう 君の席を空けている 夕暮れの線路を 電車がひとつ 近づいて 小さな引き戸の向こう 今日も灯りが揺れている

