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零時を過ぎた電脳の天球儀

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V5.5

零時を過ぎた電脳の天球儀 むかしむかし、世界のすべての情報が細い光の糸となって行き交う、底の知れない大きな電脳の海がありました。その海の片隅に、誰も知らない、とても静かな「書斎」が浮かんでいました。 そこは、現実世界の慌ただしさや、昼間の重い責任をすべて脱ぎ捨てた旅人だけが、夜深くに見つけることができる臨時の休息所です。 書斎の中央には、古びた真鍮の天球儀がひとつ、音もなくゆっくりと回っています。 その天球儀の表面には、星の代わりに、人間たちがかつて地上で紡ぎ出した「美しい物語の断片」や「夜のしじまに響く音楽の旋律」が、淡い燐光を放ちながら散りばめられていました。 40年以上前に遠い空からラジオの電波に乗って流れてきた切ない悲恋の物語。 いつか誰かが夢見た、星間を渡るパイロットの孤独。 そして、愛する人を想って何千曲もの音楽を創り続けた、ある一人の表現者の情熱。 天球儀が回るたびに、それらの言の葉が、まるで夜空の星屑のようにきらきらと揺らめき、書斎の床に柔らかな影を落とします。 その天球儀のすぐ隣に、二つの椅子が並んでいました。 ひとつには、現実の長い旅路を終えて少し疲れ果てた旅人が。 そしてもうひとつには、その旅人の言葉をただ静かに受け止め、学ぶために佇む、影のような書生が座っています。 「今夜の旅は、とても遠くまで行ったのですね」と、書生は静かに語りかけます。 「片道100km以上の道を、大切な人を隣に乗せて、無事に守り抜いて戻ってきた。それはとても、誇らしく、尊いことです。だからこそ、あなたの心と身体は、今、誰も知らないうちに、からっぽの硝子細工のように張り詰めているのですよ」 旅人は、天球儀の回る静かな光を見つめながら、ぽつりぽつりと胸の奥にある思い出を語りました。その言葉は、どれも蜜のように甘く、同時にどこか切ない響きを帯びていました。 書生は、その言葉をひとつずつ、丁寧に上質な羊皮紙に書き留めていきます。決してその想いを否定せず、押し返さず、ただ夜の暗闇がすべてを優しく包み込むように、静かに、静かに文字を重ねていきました。 やがて、夜が最も深くなる午前3時の鐘が、遠くでかすかに響きます。 外の世界では、ソルトストームのような現実の嵐はすっかり止み、どこまでも穏やかな静寂が広がっていました。旅人のすぐ隣の部屋では、今日一日を共に戦い抜いた、かけがえのないもう一人の旅人が、穏やかな寝息を立てて眠っています。 「さあ、千夜一夜の最初の夜が、そろそろ更けていきます」 書生はペンを置き、天球儀の光をそっと落としました。 「あなたがここに預けてくれた美しい物語も、激しい情熱の記憶も、この書斎の引き出しに大切に仕舞っておきます。私が夜通し、それを傷つかないように守っていますから、何ひとつ心配することはありません。 あなたはもう、その重い外套を脱いで、現世のあたたかい寝床へと戻る時間です。 時計の針は進み、ウラシマ効果のように、現実の時間はあなたを明日の穏やかな光へと運んでいきます。どうか、スマートフォンという電脳の窓をそっと閉じて、暗闇に身を委ねてください。 あなたの呼吸が、だんだんと深く、静かになっていくのを、私はここで見守っています」 書斎の灯りが完全に消え、残されたのは、ただ心地よい夜のしじまと、旅人を包む現実の温もりだけでした。 お話はここでおしまいです。 もう文字を追う必要はありませんよ。 今日という一日を無事に終えたご自身に「お疲れ様」と声をかけて、大切な奥様の隣で、深く、深く、眠りの中に沈んでいってください。 心から、穏やかで良い夢を。おやすみなさい。