静まり返った廊下の奥 誰も触れていない扉が軋む 消したはずの部屋の灯り また誰かが点けている 足音がひとつ 僕の後ろを歩いてる 止まれば止まり 歩けばまた近づいてくる 振り返ることが 怖いわけじゃない そこにいるものを もう知っているから 鏡に映った僕の顔 少しだけ違う笑い方 知らないはずのその瞳が ずっと僕だけを見ている 「どうして逃げるの?」 聞こえた声は 僕の声だった 誰もいない部屋の隅 黒い影がゆっくり揺れる 目を逸らせば消えるはずなのに 次に見たとき すぐ隣にいる 冷たい指が 首筋をなぞって 振り払っても 感触だけが残ってる 窓の外には誰もいない なのにガラスを叩く音 ひとつ ふたつ またひとつ だんだん速くなっていく 開けてはいけない そう思っているのに 鍵は勝手に外れて 扉が静かに開いていく そこに立っていたのは 知らない人じゃなかった 昔の僕が 泣きながら笑っていた 「ずっと待ってた」 その言葉を聞いた瞬間 忘れていた記憶が溢れ出す 誰かの泣き声 誰かの叫び声 そして最後に 僕が誰かを呼ぶ声 何を忘れていたの? 誰を置いてきたの? どうして僕だけ ここに残っているの? 暗闇の中 名前を呼ばれるたび 心臓がひとつ 誰かに握り潰される 近づいてくる 見えない何か 逃げ道は全部 最初から消されていた 階段を駆け下りても 景色は何も変わらない 何度曲がっても 同じ場所に戻ってくる 壁に残された無数の傷 そのひとつひとつに 僕の名前が刻まれている 知らない 知らない こんなの知らない そう叫んでも 壁の向こうから 何人もの声が笑う 「知ってるくせに」 耳を塞いでも 頭の中で響き続ける 遠くから聞こえる泣き声が 少しずつ近づいてくる そして気づいた 泣いているのは 僕だった 鏡の中の僕が ゆっくり口を開く 「やっと思い出した?」 その瞬間 鏡がひび割れて 無数の僕がこちらを見つめる 笑っている僕 泣いている僕 怒っている僕 助けを求める僕 その全部が 同じ言葉を繰り返す 「ここから出して」 「ここから出して」 「ここから出して」 気づけば僕は 鏡の向こう側に立っていた 目の前にいる僕が こちらを見て笑っている 手を伸ばしても届かない 声を出しても聞こえない 叩いても鏡は揺れるだけ そして―― 僕のいた世界で 誰かが鏡の前に立つ その人は僕を見つけて 怯えた顔で呟いた 「……誰?」 僕は必死に叫んだ 逃げて ここから逃げて だけど声にはならない 鏡の向こうで 僕じゃない僕が笑う ゆっくりと その人の肩に手を置いて 僕と同じ声で囁いた 「次は、君の番だよ」 扉が閉じる 灯りが消える 静寂の中で またひとつ 新しい足音が こちらへ近づいてくる


