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薄霧の帰還( Japanese Edition)

且つて大きな机で 指揮を執ったその指先が 今はビルの片隅で 濡れたモップを握っている 「人生百年」の引き延ばされた 舞台の上で 私たちはただ 静かに幕が降りるのを待つ 子どもたちの暮らしを これ以上狭めぬようにと 白い天井を見つめて 言葉を飲み込む夜 頭の奥に忍び寄る 朝靄のような不確かさ 時計の針の音だけが 私の現在地を告げている 冷たいレンガのコテージ 暖炉の煙が霧に溶ける 国の病院の順番待ちを 静かに諦めながら 誰の足も手も踏まずに 自立して生きてきたから 最後の日もただ一人 誰の足枷にもならぬように 誰も訪れない庭で 冷たい黒土をいじる 先立っていった仲間たちの 古い声を風に聴きながら 「社会の負担」と書かれた 冷たい新聞を閉じて 私はただ 自分が還るべき土の匂いを愛おしむ 引き伸ばされた時間の果てに 私たちはすべての帳尻を合わせた これ以上誰かのバネを奪うなら 私は私の意志で静かに幕を引こう 正しさに押し潰されそうな世界の片隅で ただ寡黙を貫いたその魂よ 王冠も、肩書きもいらない ただ美しい薄霧の向こうへ還るだけ エイジングという名のビジネスが 私の命に値段をつける けれど私の尊厳は 誰の財布にもはいりはしない あまくだりの椅子も、若さの魔法も、とっくに手放したけれど 誰の尊厳も踏みにじらなかった その汚れぬ敗北がここにある 隣の老兵も、あの日の母も、みんな同じ沈黙を守っていた 愚か者の時代だと 世界が私たちを嘲笑おうとも このガタのきた身体で 今日まで命を繋ぎきった その泥臭い倫理だけが 私たちの最後の光 耳を澄ませば聞こえる 古い土の下からの Refrain 「よく生きたね」と微笑む 懐かしい人たちの温もり 医療の管で繋がれた かりそめの生ではなく 私は私のプライドを持って この各駅停車のホームへ降りる 正しさに押し潰されそうな世界の片隅で ただ寡黙を貫いたその魂よ 誰にも褒められなくても あなたが今日まで生き抜いた一世紀の重さ 薄霧の時間が終わり やがて夜の闇がすべてを美しく包むとき 私たちは土へ還り 静かな森の樹々となって息づくだろう ただ生きて、ただ果てることが どれほど気高い奇跡なのかを 私たちは霧の向こうで証明した モップも、庭のシャベルも、静かに床に置いた 人生100年の、長い各駅停車が、いま、終着駅に滑り込む 子どもたちの足音が、 遠くで、未来へ向かって走っていくのが聞こえる それだけで、 それだけで、もう十分だ 薄霧の向こう、 石造りの教会の鐘が、鳴り響き、 静かに、陽はまた昇る