ねえ そんな顔しないで 私 何も奪ってない ただ 欲しいものを欲しいって 言っただけ それだけなの 夢を見るのは自由でしょう だって世界は広いんだもの 小さな幸せじゃ 足りなかっただけ ねえ わかってよ 私は私を大切にしたい それの何がいけないの 愛よりも 優しさよりも 安心を 約束よりも 確実な未来を 選んだだけ ねえ 泣かないで 私 ちゃんと考えたの 幸せは待つものじゃなくて 取りに行くものよ 絵空事な夢より 汚れてもいい現実がいい だって私は 私の人生を あなた如きで 失敗したくないの 私は私を愛したい それの何が悪いの 裏切りじゃなくて 選ばなかっただけ 絆よりも 想いよりも 眩しくて 約束よりも 確実な未来を 選んだだけ ねえ 許してほしいなんて 思ってない わかってほしいだけ 私は弱くない ちゃんと選んだの ちゃんと 私のためだけに だから 裏切りじゃないの だから あなたを 選ばなかっただけ --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- ■ミニストーリー:春は綺麗だった■ 鏡の前で、私は指輪をはめる。 本物の宝石は冷たい。指に収まると、見た目よりずっと重く感じる。それなのに不思議と鬱陶しくはなくて、むしろこの重さこそが、これから手に入るものの確かさみたいに思えた。 よく似合っている。 「緊張してる?」 後ろで母が髪を整えながら聞く。 「いいえ。楽しみです」 嘘ではない。 迷う理由なんて、もうとっくになくなっている。 鏡の中の自分を眺めていると、昔のことが少しだけ浮かんだ。 ――桜の季節。 同じ道を歩いて、同じ景色を見て、同じ家へ帰った。 あの頃は、確かに楽しかったと思う。 だからといって、その時間まで否定する必要はない。 『桜が綺麗だった』 「春の風が気持ちよかった』 『若かったから、何をしていても楽しかった』 ――それだけのこと。 一緒にいた相手が特別だったからではない。 考えてみれば、同じ家にいたことだって私たちが望んだわけじゃない。大人たちがそう決めて、同じ屋根の下へ置いただけ。同じ食卓を囲んだのも、毎日顔を合わせたのも、たまたま生活する場所が同じだったから。 それを「絆」なんて呼ぶ方が、きっとおかしい。 昔の私は、近くにいる人を特別だと思い込んでいただけなのだろう。 そう考えるようになってから、思い出はずいぶん軽くなった。 「貫一くんのことだけど……」 母が、鏡越しに私を見る。 どうして今、その名前を出すのだろう。 「何?」 「いえ……その、あなたは本当にこれでいいの?」 私は指輪へ視線を落とす。 光を受けた石の中で、いくつもの小さな輝きが揺れていた。 「もちろん」 それ以上、何を考える必要があるのか分からない。 貫一には夢があった。 けれど夢は保証ではない。 優しかったかもしれない。 私を大切にしてくれたのかもしれない。 ――それで? 優しさで家は買えない。 想いで地位は守れない。 約束をいくら積み上げたところで、明日の暮らしが確実になるわけでもない。 私は、自分の人生を失敗したくない。 それだけだ。 誰か一人のために、もっと良い未来を捨てるなんて馬鹿げている。 「でも、あの子……」 母はまだ何か言いたそうだった。 「あの人なら大丈夫でしょう」 自然に言葉が出た。 大丈夫でなかったとしても、それは私の問題ではない。 自分の人生くらい、自分でどうにかするべきだと思う。 できなかったのなら、それはその人が選んだ結果。 私が責任を感じる理由はない。 扉の向こうから音楽が聞こえ始めた。 そろそろ時間らしい。 立ち上がると、ドレスの裾が床を滑る。鏡の中には、もう昔の私とはまるで違う女が立っていた。 ――悪くない。 むしろ、ようやく自分に相応しい場所へ来た気がする。 過去を捨てたつもりはない。 桜は今でも綺麗だったと思う。 あの頃が楽しかったことも覚えている。 ただ、そこに余計な意味を付けるのをやめただけ。 誰と歩いたかなんて、もう重要じゃない。 裏切ったわけでもない。 捨てたわけでもない。 私はただ、自分の未来に必要なものを選んだ。 ――そして アレを、選ばなかっただけ。


