
十分でなく充分な男になれ
息子よ と呼びかけるのも 照れくさい それでも この言葉 届けたくて 手紙を書いた 若い頃 父さんは信じた 「十分」な暮らしを 作るのが男だと いい会社 いい給料に いい車 不自由させない それが愛だ と思っていた それなのに 見落としたものは 数えきれない お前が 初めて歩いた日 父さんは 会社に残っていた 母さんが 夜中にひとりで 泣いていても 知らないままで 過ごしていた 物はあったけれど この家に隙間風 音もなく吹いて 消えなかった ある日のこと 母さんが静かに こう言った 『何も要らないよ ただ隣に いてほしかった それだけだよ』 その一言が 胸を突き刺して 父さんは知った 「十分」なものを 並べてみても 「充分」の意味を わからないまま 生きてきたこと 母さんが 欲しかったのは きらびやかな ものじゃなかった 疲れた夜に 大丈夫かと 声をかけてくれる その温かさ 嬉しい日には 真っ先に聞く その耳と 悲しい日には 黙ったまま 寄り添う肩を 求めていた ここからだ 息子よ 聞いてくれ 父の願いを 働くことから 逃げるなよ 「十分」の土台を 疎かにするな でもそれだけを 追いかけるな 泣いている人の そばにいろ 理由なんか 聞かなくていい そばにいろ 正しいことを 言う前に 気持ちをまず 受け止めてやれ それが先だ 疲れた日こそ ありがとう と声に出せ 立派なものより くだらない冗談が 人を救うことも あるんだよ 沈黙を怖がらなくていい ただ黙って 隣にいることが 贈り物だ いつの日か お前のそばの その人に こう言ってもらえ と父は願う 『あなたは何も くれなかったんじゃない 誰にもくれない ものをくれた 指輪も要らない 式も要らない あなたがいれば わたしはそれで 「充分」です』 その言葉を もらえた日に お前は気づくだろう 自分が与えてきた ものの本当の価値に 「十分」を 与えられる男は たくさんいる でも「充分」を 与えられる男は そうはいない お前には そっち側の男に なってほしい 不器用でいい かっこ悪くていい 大切な人の 心を満たせる男 それだけが 父さんの願いだ 「十分」な男でなくて 「充分」な男になれ

