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指名ゼロから、はじめます。

V6

午前二時 鏡の前 ネクタイだけは 一人前 椅子に並べた ぬいぐるみ 今夜も接客 練習中 「お帰りなさい、お姫様」 ……違うな ちょっと固すぎる 「君を待ってたよ」 ……うわっ これは恥ずかしい クマは無言 ウサギも無言 拍手のひとつも くれないけれど 水のグラスを そっと差し出し 笑顔だけは 崩さない だって僕は 素麺だから 細くたって 夢は太いんだ 醤油 蕎麦 ペペロンチーノ 釜玉 とんこつ 眩しすぎるよ いつか僕にも 「ご指名です」って その一言が 聞こえるように 今夜も人形相手に 「お姫様、今日も綺麗だね」 ……よし 今のはちょっと良かった 鏡に向かって ウインクひとつ 右目がなぜか 閉じてくれない 薔薇をくわえて 決めた瞬間 くしゃみで全部 吹き飛んだ 「大丈夫ですか、お姫様!」 慌ててクマを 抱き起こす ……僕が倒したんだけど 誰も見てない この部屋で 何度失敗 したんだろう 格好いい声も 出せなくて 自信なんて まだなくて それでも僕が ここまで本気なのは 笑われたいからじゃない 疲れて扉を開けた誰かに 「今日もお疲れ様」って 心から言える人になりたい だって僕は 素麺だから 派手な味なんて ないけれど 暑くて苦しい そんな日に そっと寄り添える 麺でいたい いつか僕にも 「君でよかった」 そんな言葉が 届くように 人形の前で頭を下げる 「来てくれて、ありがとう」 返事はないけど なぜだろう 今日は少し 泣きそうになった 採用通知は まだ来ない スマホの画面も 静かなまま 僕より格好いい人なんて きっと山ほど いるんだろう それでも 醤油みたいに 甘くなくても 蕎麦みたいに 渋くなくても ペペロンチーノみたいに 華やかじゃなくても 釜玉みたいに 包めなくても とんこつみたいに 濃くなくても 僕は僕のやり方で 誰かを笑顔にしたいんだ 午前四時 最後のお客様は 少しくたびれた ウサギの人形 椅子を引いて そっと座らせる 「今夜は何も話さなくていいよ」 「ここにいる間くらい 無理して笑わなくていいから」 …… 静かな部屋で その言葉だけが残った あれ? 僕が一番 言ってほしかったのかな だから僕は 素麺のままで この夢だけは 捨てないよ 細くたって 切れそうだって 何度だって 結び直すから いつか本物の扉が開いて 僕の名前を呼ぶ声がしたら 今日まで練習した全部で あなたを迎えに行くよ 「お帰りなさい、お姫様」 …… いや 「来てくれて、本当にありがとう」 朝の光が 差し込んで 人形たちを 片づける クマに小さく 頭を下げて 「今日もありがとう」 スマホが鳴った 震える指で 画面を開く 『面接日時のお知らせ』 ……え? クマ! ウサギ! 僕…… 面接まで行けたよ! まだ採用じゃない まだ指名もゼロ それでも今日は 昨日より一歩だけ ホストに近づいた 「じゃあ今夜も、練習しようか」 お帰りなさい、お姫様 僕は素麺 まだ名前のない イケ麺ホストです