
[Verse 1] 人は視覚情報の欠損を補う傾向を持つとされる。壁の染みや光の揺らぎを、意味のある形として再解釈する現象があり、これはパレイドリアと呼ばれる。シュミラクラ現象のように、単純な構造が顔として知覚される場合もある。知覚は入力そのものではなく、脳内での補完過程を含んで成立している。 また、人間の認識は外界の情報をそのまま記録するのではなく、既存の記憶構造と照合しながら再構築される。視覚刺激は常に意味付けを伴い、観測と解釈は分離されない。 さらに、部分的な印象は全体評価へと波及することがある。ある一点の好ましい印象が全体を押し上げる場合もあれば、わずかな否定的印象が全体を引き下げる場合もある。ハロー効果とホーン効果。 [Pre-Chorus 1] 見えているものは、本当にそのまま見えているのか。 それとも、見えるようにおぎなわれているのか。 どこからが現実で、どこからが補完なのだろう。 [Chorus 1] 見えているものを、存在しているとは私は確信できない。 それでも、その反応自体を現実と呼ぶ以外に方法はない。 感じているという事実があるだけだ。証明方法はない。 [Verse 2] 人間の記憶は保存ではなく再構成として働くとされる。出来事は固定された形ではなく、想起のたびに再編集される断片として現れる。 記憶の強度は経験量に比例しない場合がある。印象の強い瞬間や結末が全体評価を支配することがあり、ピーク・エンド効果として説明されることがある。 また、否定的な出来事は肯定的な出来事よりも強く残る傾向がある。ネガティビティ・バイアスにより、同じ経験でも重みがチグハグになる。 後から振り返ったとき「最初から分かっていた」と感じる現象が生じることがある。あとじえバイアスにより、記憶は結果に合わせ再構成される。 [Pre-Chorus 2] 思い出とは、本当にそのまま体感したことなのか。 それとも、残響に飲まれているだけなのか。 戻って来るものは、出来事か解釈か、それとも夢なのか。 [Chorus 2] 記憶しているものは、ただの記録ではないのか。 強く残るものは、実際の重さとは別の意味を持っている。 それでも、それを過去と呼ぶしかないのだろう。 [Verse 3] 人間の思考は、独立した論理体系として成立しているのではなく、複数の認知傾向が同時に作用する動的な過程として現れるとされる。確証バイアスにより、選択された情報は強調され、反証的な情報は認識から減衰する傾向がある。 また、判断は他者の判断に引き寄せられることがある。多くの選択が同じ方向へ流れているとき、その流れが正しさのように感じられる状態が生まれることがあるバンドワゴン効果。 サンクコスト効果とは、すでに費やされた時間や労力が、その後の判断に爪痕のように作用し、更新の可能性とは別に過程そのものの重さとして意思決定を拘束する現象である。 さらに、他者から向けられた期待は、思考や行動の方向性に影響を及ぼすことがある。高い期待によって能力が引き出されることもあれば、蔑みにより能力に制限が生じることもある。ピグマリオン効果とゴーレム効果だ。 [Pre-Chorus 3] それらの反応は本当に外からの影響なのか。 それとも、影響がすでに思考の一部なのか。 自分で選んでいる実感は、どこまで本当なのだろう。 [Chorus 3] 期待され伸びたり縮んだり。 伸びた私と縮んだ私は、どちらが私なのだろう。 どちらも私なら、それは私ではないのではないか。 [Bridge] 世界が正常で私が正常であるなら、この違和感は生まれないはずだ。 世界がすでにほつれていて、私も欠けているのだとすれば、苦しみが拭われることはない。 どちらか一方のみ異常をきたしているのであれば、私は諦めがつく。 しかし、それを証明できる証拠はどこにも存在しない。 どちらも正常であるのに噛み合わないのか。どちらも異常であるからこそ苦しみが成立しているのか。 どちらにも寄れないまま、思考が繰り返され、ちりが積み上げられる。 [Outro] シャボン玉が弾ける瞬間。 枯れ葉が踊る影に。 空をゆく雲のなか。 煌めく砂浜。 電線を伝う雨粒。 ミナモで崩れる光。 トカゲが捕食する瞬間。 そこに答えがあるのかもしれない…。 …私の幸福と不幸は 箱の中の猫だ…。

