
茶々の歌
茶々の歌 勝者の歴史は、彼女を「豊臣を滅ぼした愚かで傲慢な悪女」、すなわち「淀君(よどぎみ)」という記号に閉じ込めた。しかし、それは徳川の正統性を飾るための、数百年にわたる盛大なプロパガンダに過ぎない。 実像の茶々は、浅井・織田の血を引く気高い品格と、現代人を凌駕する長身の美貌、そして確かな知性を兼ね備えた「才色兼備の女性政治家」であった。 幼き日に二度の落城と父母の凄絶な自害を経験した彼女は、決して情念に狂う愚か者ではない。豊臣宗家の「共同代表」として公儀の務めを生真面目に全うし、父や母の宿業を繰り返さぬよう、徳川との武力衝突(関ヶ原、大坂の陣)を誰よりも怖れ、最後まで「和平交渉」による和戦の均衡を保とうと苦心し続けたのである。 近年の史料研究と科学的解析によって、ようやくその「静かなる真実」が灰の中から明らかになりつつある。 屈辱にまみれてプロパガンダの傀儡となるよりも、母としての慈愛と天下人の家の尊厳を選び、最期は汚れなき名のまま焔へと還った。この歌は、蔑称を解き放たれたひとりの「人間・茶々」の、孤独で誇り高き覚悟の全記録である。 名さへ奪はれ 泥を投げられし 淀の浮き草 あだなる呼び名 我が名は茶々 ただそれのみぞ 紅蓮の闇に 解き放つべし 小谷の雪に 父の背を見送り 落城の 煤にまみれぬ 母の手を引かれ 北ノ庄 ふたたび天を 焦がす焔 「生きてあれ」との 母の息吹を 胸の奥処に 秘め置きて 幾度越えし 修羅の坂 幼き命 宿し日も 御前(北政所)とともに 額づきぬ 太閤の去りし 広き城 重たき屋根を 支へんと 確執などと 人は言へど 公儀の務め 淡々と 仇討つための 生ならず ただこの家を 繋ぐため ひと筆ごとに 祈り籠めたり 誰が望みし 関ヶ原 武力の嵐 押し留めんと 文を交はして 和を求む 愚かなる女の 狂気とや 後の世人が 書くとても 争ひ断たんと もがきにし 我が誠こそ 水のごと 東より来たる 約定の破れ 国替へよと 人質出せと 豊臣の誇り 手放さば 安き生こそ 買へたれど 児の尊厳を 売り渡す 母の道など ありはせぬ 細き和議の糸 手繰りつつ なほも対話の 座を待てり 主を討ちたる 後ろめたさに 徳川は罪を 求めたり 「天下を惑ひし 妖婦の咎」と 着せらるる濡れ衣の 重さをも すべて呑み干し 抱きて立たん 我が身ひとつを 人身御供に 豊臣の義を 守るなら 「秀頼、見てごらんなさい。 大坂の空が、金色に染まつてゆきます。 そなたは誰が子であらうと、紛れもなく私の命、天下のまことの主でした。 復讐のために産んだのではありません。 そなたを生かし、この世を安らかにするために、私は生きてきたのです。 ……母の務めは、これでおしまひ。 もう、誰もそなたを蔑むことは叶ひませぬ」 涙は見せじ 乱れじと 襟を正して 座に就きぬ 三度見つむる 城の灰 されど心は 汚れなきまま 悪名さへも 身代はりに 児の手を握り 歩みゆく 白き光の 満つる空 煙は空へ 立ちのぼり 嘲りの声も やがて消ゆ 淀の君など ここにはあらず ただ、誇り高き 母と児の 静けき魂 風となりぬ

