しゃくとりむしのように みをくっするのも いずれは 龍  のようにのびるためだ そのためには、どれいになっても、 げぼくになってもかまわない。 にんげん、きゅうちにおちいるのはよい  いがいなほうがくに かつろがみいだせるからだ しかし、しちにおちいれば それでおしまいだ だから、おれはこまったのひとことは はかない ひとはきゅうをわすれざるが 義のはじめ いまのばあい、いちりいけばいちりのちゅうをつくし、にりいけばにりのぎをあらわす。そんのうのしんしたるものいちにちとしてあんかんとしているばあいではない。 しんのたのしみはくるしみのなかにこそある いきるかしぬかはじきにまかせよう。よのひとがなにといおうと、そんなことはもんだいではないのだ しょうねんのころ、よんだほんに がくもんをなすなら せけんからりこうとおもわれるひとになるなせけんからぐしゃとおもわれるひとになれ とあったのでせけんからぐしゃとおもわれるひとになろうとぼくはねがった。 くにのためにいえがつぶれても、いえなどはかるいものである せけんがぼくをくるっているといってもかまわない たいこうもてんぽうこうかにうまれなば、なにもえせずにしぬべかりけり あやまちをあらためれば、それはあやまちではないのだ にんげんというのはこんなんはともにできるしかしふうきはともにできない くるしいということばだけはどんなことがあってもいわないでおこうじゃないか いまさらに なにをかいわん  おそざくら ふるさとのかぜに  ちるぞうれしき せんせいを  したうてようやく  のやまごく いまのばあい、いちりいけばいちりのちゅうをつくし、にりいけばにりのぎをあらわす そんのうのしんしたるものいちにちとしてあんかんとしているばあいではない たたかいは いちにちはやければ いちにちのりえきがある まずとびだすことだ しあんはそれからでいい まけてしりぞくひとを よわしとおもうなよ ちえのちからのつよきゆえなり ひとはひと  われはわれなり やまのおくに  すみてこそしれ  よのふちん だんじがことをなすには ときがあるのだ たとえしせいのきょうかく とよばれても むねにある いっぺんのそのこころは まったくかわっていない。 おくれても おくれてもまた きみたちに ちかいしことを われはわすれめや さんぜんせかいのからすをころし ぬしとあさねをしてみたい あさにひととしてのみちをさとることができれば そのばんにしんでもくいはない  ということこそがひとのみちである ひととしてのどりょくをすることもなく  ただしにむかうのはひとのみちではない。 おもしろきことなきよを おもしろく すみなすものはこころなりけり じせい たかすぎしんさく