Song Cover Image

リビングのテルモピュライ

V5.5

リビングのテルモピュライ ある秋の日 あなたはカマキリの 卵を拾ってきた 見て見て カマキリさんの 卵 田舎育ちだった わたし こんな都会でも 強く生きている 命があるのね わたしは あなたの頭を撫で 命の大切さを 説いたわ 春になったら 外に返そうね そう言って 窓辺に置いた まさか まだ家の中に あったなんて なんで 気づかなかったの それが トロイの木馬で あったことを そしてやってきた 春の木漏れ日さす ある朝 カーテンのそばで 何かが動いた 最初は ほこりかと思った 次に 目をこすった それでも 動いていた 壁が 動いていた リビングの テルモピュライ わたしは一人で 春の大軍を 迎え撃った 小さな鎌を持った 数百の軍勢が 白い壁を 下っていた あなたは 目を輝かせて ママ 生まれたね そう言った わたしは 笑おうとした でも 口が動かなかった わたしの装備は ちりとりとほうき 盾は 洗濯かご 武器は ティッシュと掃除機 対する相手は 鎌を持った 数百の軍勢 スパルタは 三百人で 戦った わたしは 一人で パジャマのまま リビングに立っていた その時 わたしは レオニダスの 気持ちを 知ることになったわ クセルクセスは どこにいるのかしら それを止めれば この大軍は 退いてくれるのかしら でも みんな同じ顔 みんな 同じ鎌 白いティッシュを 掲げた 講和の 印だった でも彼らは その上を ただ歩いていった リビングの テルモピュライ わたしの家は 戦場になった カーテンにも テレビにも 冷蔵庫の 後ろにも 小さな鎌が 光っていた うちは 何に攻め込まれたのかしら ペルシャ軍より 多いのかしら わたしは ほうきを握りしめた でもその手が だんだん 動かなくなった そこで わたしは フリーズした ほうきを 握ったまま ちりとりを 構えたまま リビングの 真ん中で わたしの時間だけが 止まった 壁は まだ動いていた あなたは 笑っていた ママ いっぱいいるね そうね いっぱい いるわね その時 ふと 思ってしまった この子たちにも ご飯がいるのかしら 寝る場所も いるのかしら 子ども一人 三千万円って 聞いたことが ある じゃあ この数なら わたしは 国を 売るしかない いっそ 名字を 鎌田に しようかしら その方が この家には 似合っている リビングの テルモピュライ 戦場だった はずなのに いつの間にか 大家族の 家計簿になっていた 戸籍が 足りない ご飯も 足りない でも 命は 確かに 生まれていた あなたは 目を輝かせて ママ かわいいね そう言った わたしは 少しだけ 笑った そうね かわいいわね でも かわいいの 単位が 多すぎるの リビングの テルモピュライ 春の朝に わたしは 負けを認めた