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壊す前に、もう一度見る

V5.5

【草稿/長谷川章先生との協議用・未承認】 壊す前に、もう一度見る 役目を終えた建物は、その命まで終えなければならないのだろうか。 約三十年、旧すかっとランド九頭竜には人が集った。家族が湯につかり、食事をし、働き、祝い、休み、九頭竜の山河を眺めた。2018年度だけでも約13万人が利用した場所である。 そして時代が変わった。コロナ禍の中で施設は閉じ、かつての役割を失い、いま福井市は約15.8億円を要するとされる解体へ向かおうとしている。 しかし、壊す前に問うべきことがある。 この建物の「価値」が終わったのか。 それとも、私たちの「見方」が古くなっただけなのか。 これは、福井の一つの温泉施設だけの話ではない。 日本全国には、最初の役割を終えた学校、旅館、工場、公共施設が数多く残されている。人口は減り、地方から若者が去り、自治体の財政は厳しくなっている。 古くなったものを壊し、また新しいものを建てる。 日本は、いつまでそれを続けられるだろうか。 もしかすると、その必要はない。 次の日本をつくるためのインフラは、すでに日本中に立っているのかもしれない。 誰もがAIという言葉を聞くようになった。 しかし、もっと単純な質問をしたことがあるだろうか。 「AIは、何を食べるのか。」 AIが必要とする「食べ物」は、計算資源――コンピュートである。 データセンターを、AIのための田んぼだと考えてみよう。 田んぼには、水と土地と道具と知恵がいる。データセンターには、電力と半導体と数学と技術がいる。 田んぼから収穫されるのは「米」であり、それが人を養う「ご飯」になる。 コンピュートは、AIにとっての「ご飯」である。 いま米国をはじめ世界では、このAIの食料を生み出す巨大な「田んぼ」が次々につくられている。 日本にも計算資源は必要になる。 問題は、データセンターを受け入れるか拒むかではない。 誰が所有するのか。 誰のために使うのか。 土地と電力を提供する地域に、その価値が戻ってくるのか。 そして、その地域で生まれた知識、歴史、言葉、文化を、誰が守り育てるのか。 福井には、福井のコンピュートがあっていい。 地域のデータセンターは、地域から電力を吸い上げるだけの巨大な箱である必要はない。 電力を入れる。 計算資源を生み出す。 そして、熱が残る。 その熱を、なぜ捨てなければならないのだろう。 温泉や施設の給湯、暖房に使えないか。雪国なら融雪に使えないか。農業や周辺施設に使えないか。 もちろん、何が実現可能なのかは技術的な検証が必要である。 しかし、大切なのは発想を変えることだ。 「廃熱」を「資源」に変える。 「古い建物」を「次のインフラ」に変える。 「地方」を、中央からサービスを受け取るだけの場所から、知識と産業を生み出す場所へ変える。 これが、Community-Owned Green Data Center――地域所有型グリーンデータセンター、COGDCという考え方である。 巨大なものから始める必要はない。 まず小さく始める。 例えば約1MWという規模から可能性を検証し、地域が必要とする計算資源を地域で育てる。需要が増え、地域への利益が確認できれば、モジュールを増やす。 一が二になり、二が五になる。 需要のために成長するのであって、巨大な施設を先につくり、地域に需要を押しつけるのではない。 そして、その計算資源はコンピューターの中だけで終わらない。 農業は、自動運転農機、ドローン、画像認識、ロボット除草などによって変わり始めている。 福井の農家が使うAIを、なぜ遠く離れた計算資源だけに依存しなければならないのだろう。 地域の課題を、地域の学生、農家、企業、技術者とAIが一緒に解く。 地域で試す。 成功すれば会社になる。 福井で生まれた解決策が、日本の他地域へ、そして世界へ広がっていく。 未来の会社は、二十世紀の会社と同じ姿ではないかもしれない。 東京の大きなオフィスに百人集まらなくてもいい。 地方にいる二人とAIが、かつて大きな組織を必要とした仕事を始められる時代が来ようとしている。 だから必要なのは、若者を東京へ送り出すことだけではない。 未来をつくるためのインフラを、彼らの故郷に置くことである。 未来のインフラを求めて若者が故郷を離れ続ければ、いつか故郷そのものが消えてしまう。 ならば、未来のインフラを故郷へ持ってくればいい。 使われなくなった学校を、教育とAIの研究拠点にできるかもしれない。 工場をロボティクスの研究拠点にできるかもしれない。 旅館や公共施設を、観光、教育、研究、起業、地域の計算資源が共存する場所にできるかもしれない。 すべての地域に同じ答えは必要ない。 なぜなら、すべての地域は違うからだ。 D-K(デジタル掛軸)は、同じものを二度とつくらない。 それは「音の無い音楽」であり、「一期一会の沈黙」である。 「己」と「自然」、「己」と「世界」の境界が溶けていく。 D-Kは、何かを一方的に説明するための映像ではない。 その場所、その瞬間にしか存在しない現象である。 日本の地域もまた、一期一会である。 福井は東京ではない。 一つの村は、その隣の村とも違う。 山も、川も、言葉も、産業も、記憶も、人々が積み重ねてきた物語も違う。 AIの時代だからこそ、その違いを失ってはいけない。 建物を変える前に、その場所の記憶を残すこともできる。 写真。 記録。 そこで働いた人。 そこで湯につかった家族。 結婚式、宴会、学校行事。 そして、何でもない普通の一日。 それらも、その地域が生み出した情報であり、文化である。 地域のデジタルインフラは、新しい情報を生み出す前に、そこにすでに存在する記憶を守ることから始めてもいい。 だから、旧すかっとランド九頭竜に可能性を感じる。 昔の温泉施設を、そのまま昔の姿に戻そうという話ではない。 それでは「無常」を理解したことにはならない。 無常とは、古いものをすべて壊すことではない。 すべては移ろう、ということである。 問われているのは、 「何に移ろわせるのか。」 温泉が再び人を迎える。 子どもたちがAIを学ぶ。 学生と研究者が地域の課題を研究する。 小さな会社が生まれる。 地域のためのコンピュートが育つ。 その熱が地域へ戻る。 農業や産業がその計算資源を使う。 人が再び、食べ、語り、学び、つくるために集まる。 そして夜、建物を光が包む。 古い建物を隠し、新しい建物のふりをさせる光ではない。 この場所が、次の時間へ移ったことを示す光である。 季節、人々の営み、地域の記憶や知識。 その場所で生まれる情報と、光の現象が出会う未来も考えられる。 そうなれば、この建物は「福井が失ったもの」の記念碑ではなくなる。 「福井が変えることを学んだ場所」になる。 日本には「もったいない」という、美しい言葉がある。 食べ物や小さな物だけに使う言葉ではないはずだ。 建物にも。 エネルギーにも。 知識にも。 文化にも。 地域にも。 そして、先人が残してくれた投資にも。 旧すかっとランド九頭竜には、閉館前の2018年度だけでも約13万人が訪れていた。 そこには、すでに人を集める力があった。 解体すれば、その可能性はゼロになる。 しかし建物が立っている限り、選択肢は残っている。 日本には、日本をすべて建て直すだけの無限のお金はない。 しかし、次の日本をつくるための土地、建物、人、記憶、知識は、すでにここにある。 壊す前に、もう一度、見てほしい。 旧すかっとランド九頭竜をめぐる判断は、いま進んでいる。 9月25日、福井市議会9月定例会は最終日を迎える。 だから、これは「いつか考えればよい」話ではない。 今、考えなければならない。 解体に賛成する人も、反対する人も、一度この場所の未来を調べ、話し合ってほしい。 私たちが求めているのは、計画への無条件の賛成ではない。 「壊す前に、もう一度きちんと調べ、関係者が同じテーブルで話し合うこと。」 それだけである。 福井市長へ。 市議会議員へ。 地域の代表者へ。 そして、自分たちの地域の未来を自分たちで考えたいと思う市民へ。 声を届けてほしい。 立ち止まる時間を求めてほしい。 新しい可能性を検証する時間を求めてほしい。 そして、旧すかっとランド九頭竜の「湯守」になってほしい。 YUMORI.me 一度壊せば、戻らない。 まだ立っているなら、まだ未来がある。 ※本稿は長谷川章先生との協議のために作成した草稿です。現時点で長谷川氏が執筆・承認・署名した文章ではありません。