
あなた わ なに で きおく されたい です か? さいきん、 とても しんぷる な とい について かんがえていた。 じんせい で ほんとう に たいせつ な こと わ なに だろう。 わかい ころ の わたし わ、 この とい に わ せいかい が ある と おもっていた。 せいこう すること。 おかね を かせぐ こと。 みとめられる こと。 せいか を だす こと。 しゃかいてき な ちい を える こと。 どこか に、 「いい じんせい の せいかい」が そんざい している と おもっていた。 しかし ねんれい を かさねる に つれて、 その かくしん わ すこしずつ うすれていった。 とい が じゅうよう で わ なくなった わけ で わ ない。 むしろ ぎゃく だ。 たいせつ な とい だから こそ、 こたえ わ ひと によって ちがう の だ と きづいた。 ある ひと に とって わ かぞく かも しれない。 ある ひと に とって わ じゆう かも しれない。 ある ひと に とって わ しごと かも しれない。 ある ひと に とって わ ちょうせん かも しれない。 そして ある ひと に とって わ、 たいせつ な ひとたち と すごす しずかな にちじょう かも しれない。 ねんれい を かさねる ほど、 いみ の ある じんせい の かたち わ ひとつ で わ ない と おもう ように なった。 けれど さいきん、 ひとつ だけ おもしろい かんがえかた を みつけた。 みらい を みる の で わ なく、 じんせい の おわり から ぎゃくさん して かんがえる という ほうほう だ。 すこし そうぞう して みて ほしい。 じんせい の おわり の ひ。 あなた の そうぎ が おこなわれている。 かぞく が いる。 ゆうじん が いる。 どうりょう が いる。 そして だれか が ちょうじ を よむ。 その とき、 あなた わ なに と いわれたい だろう。 「おかねもち でした」 だろう か。 「えらい やくしょく に ついていました」 だろう か。 「たくさんの しさん を もっていました」 だろう か。 もちろ ん、 それら が わるい わけ で わ ない。 しかし わたし が その ばめん を そうぞう する と、 べつ の ことば が うかんでくる。 「しんらい できる ひと でした」 「ひと を たいせつ に する ひと でした」 「こまった とき に たすけて くれました」 「せいじつ に いきた ひと でした」 そんな ことば だ。 ふしぎ な こと に、 ほんとう に こころ に のこる ことば に わ、 しさんがく も かたがき も でてこない。 もっと ふしぎ な の わ、 おおく の ひと が すでに その こたえ を しっている こと だ。 かぞく わ たいせつ だ。 けんこう わ たいせつ だ。 ひと と の つながり わ たいせつ だ。 せいじつさ わ たいせつ だ。 ほとんど の ひと が りかい している。 それでも わたし たち わ、 たいせつ な もの を あとまわし に してしまう。 かぞく と の じかん わ あと で。 けんこう かんり わ あと で。 ゆうじん と の れんらく わ あと で。 ほんとう に やりたい こと も あと で。 「そのうち」という ことば わ べんり だ。 しかし すこし あやうい ことば で も ある。 いりょう げんば で はたらいている と、 みらい わ おもっている ほど ほしょう されていない こと を しる。 おおく の ひと わ、 あした が とうぜん くる ぜんてい で いきている。 わたし も そう だ。 しかし ほんとう わ、 だれ も あした を やくそく されて わ いない。 その じじつ に きづく と、 とい そのもの が かわってくる。 じんせい で なに が たいせつ か。 で わ なく、 きょう、 わたし わ なに を たいせつ に あつかっている だろう か。 という とい に なる。 じんせい わ、 げきてき な けつだん によって つくられる こと わ すくない。 むしろ、 にちじょう の ちいさな ゆうせん じゅんい の つみかさね によって つくられていく。 だれか と はなした じかん。 だれか に かけた ことば。 たすけた ひと。 み過ごさなかった しゅんかん。 そういう もの が、 すこしずつ じんせい の かたち を つくっている。 わたし わ ふだん、 さまざま な もの を かんさつ している。 いりょう。 そしき。 てくのろじー。 えーあい。 しかし さいきん、 もっとも きょうみぶかい かんさつ たいしょう わ にんげん そのもの かも しれない と おもう ように なった。 ひと わ なに を まもろう と する の か。 なに を うしなう と こうかい する の か。 かぎられた じかん の なか で なに を たいせつ に する の か。 じんせい の さいご に なに を のこしたい と おもう の か。 その こたえ わ ひと それぞれ ちがう。 だから この きじ に も、 せいかい わ ない。 ただ、 ひとつ だけ とい を のこしたい。 もし きょう、 あなた の じんせい が ふりかえられる ひ だった と したら、 その ものがたり わ、 あなた が ほんとう に たいせつ に したい もの を うつしている だろう か。 そして もし ちがう なら、 あした、 なに に もう すこし じかん を つかい たい だろう か。 まーじん あーかいぶ で わ、 ぎじゅつ や そしき、いりょう や にちじょう について かんさつ を つづけている。 しかし、 ほんとう に たいせつ な かんさつ けっか わ あんがい しんぷる なの かも しれない。 わたし たち わ、 なに が たいせつ か を しらない の で わ ない。 わすれてしまう の だ。 そして じんせい と わ、 それ を おもいだし つづける さぎょう なの かも しれない。

