
雨だれが ひとつ ふたつ 数えるのをやめたころ 廃工場は まだ少しだけ 働いている 格子窓のむこうで 割れたガラスが 白い息をして 錆びたドラム缶の腹に ぽん と 水の音が落ちる 土は濡れて 黒くなり 蔦は壁の夢を ゆっくり飲んでいる 人の声は 錆びの奥へ沈み 水たまりだけが 過去を映して すぐに消す きい、と 鉄が鳴る でも 風ではない ざり ざり ざり 靴音ではない 雨だれ 雨だれ 雨だれ ぽつ ぽつ ぽつ その間に ひとつだけ 知らない音が混じる くぐもった やわらかい 黒い音 名前のないものが 屋根の下で 雨を避けている それは こちらを見ない ただ そこにいる 濡れた床に 輪郭だけをこぼして 錆びの匂い 土の匂い 古い油の匂い 緑の蔦の冷たさ 工場は 忘れられたふりをして 全部覚えている だれが来たか だれが帰らなかったか どの窓が割れたか どの水たまりに 空が沈んだか 雨だれが また ひとつ落ちる ぽん 黒い何かが 少しだけ 背を伸ばす 格子窓の奥で 光が まばたきする それは合図ではない 返事でもない ただ 世界の端が 一瞬だけ こちらを向いた音 雨はやまない 廃工場は まだ少しだけ 働いている ひとつ ふたつ 数えるのをやめたものたちのために ぽつ ざり きい ぽん ――そこにいる。

