人は仏を探すが、人は仏を見る眼をもたぬ。 だが仏は常に私に現在する。 仏は有るか無いか知識で尋ねるのでなく、法として離れて下さらぬのだ。 世の事を疎(おろそ)かにしてよいのではないが、この世の事は来客のようだ。 大切に扱うものだ。 だが、世の事が主体になって仏法を扱うと、主客転倒することになる。
人は仏を探すが、人は仏を見る眼をもたぬ。 だが仏は常に私に現在する。 仏は有るか無いか知識で尋ねるのでなく、法として離れて下さらぬのだ。 世の事を疎(おろそ)かにしてよいのではないが、この世の事は来客のようだ。 大切に扱うものだ。 だが、世の事が主体になって仏法を扱うと、主客転倒することになる。
