Song Cover Image

僕だけが知っていた

+ Show full styles
V6

テーブルに落ちた光が 誰かの指先で揺れている くだらない話の続きに 今夜も世界は救われていた グラスの氷が溶けるころ 知らない名前が増えていく 覚えたはずの笑い方を いつの間にか忘れていた 窓の向こう 流れる車 赤い尾灯が滲んでいた 帰るにはまだ早すぎて ここにいるには遅すぎた ねえ、今の話 少しだけ聞いてほしかった だけど言葉は喉の奥で きれいに折り畳まれていく 誰かが誰かを呼ぶたびに 夜がやさしく満ちていく そのやさしさの届かない場所を 僕だけが知っていた どうか今夜が終わらないで なんて思ったのは初めてだ 明日になれば忘れられる そんな寂しさじゃなかった 笑い声に包まれながら ひとりぶんの夜を過ごした みんなの明日が楽しみなほど 僕の明日は遠くなった ねえ、こんなにも近くにいるのに どうして声が届かない 何も失くしていないはずなのに 何かを失くした気がした 「また今度ね」のひと言に みんなが嬉しそうに頷く 次の約束 次の季節 当たり前みたいに決まっていく 僕にも同じ夜が来て 同じ朝が来るはずなのに カレンダーの白い余白が やけに広く見えていた 誰かが忘れた上着を そっと椅子の背に掛けた 小さな気遣いひとつにも ここには愛があふれていた だから余計に言えなかった 寂しいなんて言えなかった 優しくされていることと 満たされることは違った 帰り際に振り返ると まだみんな笑っていた その景色を覚えていたくて 少しだけ立ち止まった 僕がいなくなったあとも あの話は続くのだろう 僕がいた場所の隙間も すぐに埋まってしまうのだろう どうか今夜を忘れないで なんて言えるはずもなくて 楽しかったよと笑うたび 本当の僕が遠ざかった 誰かの幸せを願うこと 心からできるのに その輪の中で笑う自分を 最後まで好きになれなかった 寂しい夜は嫌いだった でも朝が来るのも怖かった 今日が終わればこの気持ちも なかったことになる気がして もしもあのとき ほんの少しだけ 話すのをやめていたら もしも誰かが ほんの一秒だけ こちらを見てくれていたら 何かが変わったのかな いや、きっと何も 変わらなかったのかな そんな答えのないことを ひと駅ぶん考えていた ポケットの中で震えた画面 知らない誰かの笑顔 開かずにそっと伏せたあと 窓に映った顔を見ていた どうか今夜が終わらないで 本当はずっと願っていた 帰りたい場所があることと 帰りたくない夜があること その矛盾を抱えたまま 何度も笑ってきたんだ 誰にも心配されないくらい 上手に笑えるようになった みんなの声が遠ざかって 街の明かりが滲んでいく また会おうねと手を振った手が 行き場をなくして下りていく 明日になればいつもどおり 何もなかった顔で生きる だって誰にも言えなかった 何が悲しいのかさえも 玄関の灯りをつけたとき いつもより部屋が広く見えた 靴を脱いで 鞄を置いて ただいま、と小さく呟いた 返事がないのはいつものこと それなのに今夜は苦しかった 今日、誰とも話せなかったわけじゃない。 今日、誰とも笑えなかったわけでもない。 ——ただ、あの夜。 僕がいなくても、誰も気づかないことを、僕だけが知っていた。