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ただいまを言えずに

V5.5

歌が止んでも 工房の中 弦の余韻が まだ震えてた シエラはそっと 目を伏せたまま 何も言わずに 立ち上がる 扉の向こう 雨が降ってた 夕日の跡を 消すように マンドリンだけ 胸に抱きしめ シエラはひとり 外へ出た テオドアはただ 後を追いかけ 名前を呼べずに 足を早める 工房の裏 木々の根元に 小さな塚が 雨に濡れてた ここだったのと 声にできず シエラはただ 立ち尽くす 帰ってきたのに 帰ってきたのに その人はもう 答えない ただいまを 言えずに 雨の中で 弦を抱く 会いたかった その人の 名前さえ 塚にない ただいまを 言えずに 濡れたままで 目を伏せる 呼ばれた名前だけが 胸の奥で まだ 温かい テオドアは 静かに言った 俺はまだ 子供だった 白い髪の 旅の人が そのマンドリンを 抱いてきた じいさんは 徽章を見て 言葉を失くした らしい 名は聞けず 名も刻めず けれど忘れられず ここに眠らせた おまえは いや テオドアの声が 雨に溶けた その先を 言わないまま 彼はただ 目を逸らした ただいまを 言えずに 雨の中で 弦を抱く 探していた その腕は 土の下で 静かに眠る ただいまを 言えずに こぼれた涙も 雨になる 帰る場所を 見つけたのに 声だけが 出てこない シエラはそっと 塚に触れた 冷たい土が 指を濡らす あの日の声も あの温もりも もうここにしか 残らない シエラ 呼ばれた名前 シエラ 生まれた名前 けれどその人に いちばん言いたい ただいまだけが 言えなかった どれほど経ったか 分からぬまま 雨はふたりを 濡らしていた テオドアは 何も聞かずに 先に工房へ 戻っていく やがてシエラも 歩き出す 弦を胸に 抱きしめて 扉を開けた その先に 温かな光が まだ残る ただいまを 言えずに 雨の中で 凍えても 呼ばれた名前は 消えないまま 弦の中で 生きている ただいまを 言えずに 工房へと 帰ったら テオドアはただ 何も聞かずに タオルを かけてくれた 湯気の立つ 飲み物ひとつ 机の上に そっと置かれた シエラはまだ 何も言えずに 濡れた弦を 抱きしめる 雨の音だけが 窓を叩いて 工房の夜が 静かに更ける ただいまは まだ言えない けれどここに 帰ってきた