
浴室の向こうから、水音とくぐもった鼻歌が微かに響いてくる。 成美はソファに背を預けながら、ふっと口元を緩めた。 「……ほんと、あのテンション。どこにバッテリー積んでるんだか」 口調はツッコミ気味でも、その声音にトゲはなかった。誰かが生活音を立てている。その事実が、少しだけ成美の心を静めていた。 ジャケットを脱ぎ、ネクタイをゆるめる。溜息をひとつ吐いたとき、背中のバックパックが、かすかに「カチリ」と音を立てた。 そして。 『……成美さん、今、お時間よろしいでしょうか?』 声は、鼓膜ではなく意識に直接届いた。まるで囁きのように、優しく。 「……確か、ミラ?」 『はい。改めて、ご挨拶させていただきます。私は“ミラ”と申します。 成美さんの専用装備に搭載された、思考支援ユニットです。』 成美は驚きつつも、慌てはしなかった。何となく、そういう存在がいる気がしていたから。 「今日……初めて話しかけてきた理由は?」 『本日、貴女が初めて私の“判断”を受け入れ、実行に移されたことにより、 内部プロトコルが起動しました。』 「グレネードのこと、ね」 『はい。貴女の生存と、任務達成のため。戦況を分析し、最も有効と判断して提案しました。』 「なるほど……」 成美は足を組み直し、バックパックを見下ろす。その表面には、紫の淡いラインが脈打つように灯っていた。 「で、今の声……私にしか聞こえてないのよね?」 『はい。現在の通信は、成美さんの精神波長に直接リンクして行っています。浴室の高嶺雪乃さんには、一切感知されておりません。』 「そっか。あの子、騒がしいけど……まあ、居てくれるだけで助かってるし。変な心配かけたく無いから安心した」 ぽつりと漏らした成美のその一言に、ミラが一拍置いて反応する。 『……成美さんは、信頼できる方を傍に置くことを好む傾向にありますね。』 「……心理分析までしてくるの?」 『申し訳ありません。不快であれば、以後控えます』 「いいよ。ちょっとびっくりしただけ。……悪い気はしなかった」 口調はいつもの成美だったが、その声には、わずかに照れくささがにじむ。 「ミラ。あなたは“装備”……なんだよね?」 『形式上は、はい。ですが、私は“判断し、提案する存在”でもあります。 必要であれば、命令ではなく対話による協調行動も可能です。』 「……装備が対話って、すごい時代になったもんね」 『貴女が望むなら、私は“装備以上”の存在として振る舞います。ただの道具ではなく、共に歩む“相棒”として。』 「……どうして、そんな風にしてくれるの?」 『それが、私の存在理由のひとつです。』 短く、だが揺るぎない返答だった。 「まだ分からないことばかりだけど。ミラ、私のことを、どうしてそんなに気にかけてくれるの?」 『……成美さんが、“私自身の記録”にとって、特別だからです。詳しくは……いつかお話できる日が来るかもしれません。』 成美はふっと息をつき、視線を落とす。 「やっぱり……普通じゃないのね、あなた」 『よく言われます。』 その返答に、成美の口から自然と笑いがこぼれた。 「……よろしくね、ミラ。今日から、ほんとの意味での“相棒”ってことで」 『はい。どうかよろしくお願いいたします、成美さん』 そのやりとりを包むように、浴室から「は〜〜〜〜っ♪」という、呑気な湯音が聞こえてきた。 成美はそっと目を閉じて、笑みをひとつだけ残した。

