Title:IZUMO -神様のいない初夏- ©2026 AriteAL (ありてある) 📌 フルMV公開中🎧 Full MV out now🌟 🌟🎞youtu.be/QzUHVFkDJ0g 神々が集う神在月ではなく、生命の気配が満ちる初夏の出雲を舞台にした物語です。目に映るのは、白い石畳、潮の香り、青葉を揺らす風。神でも人でもない、名前さえ持たないものと出会ったとき、世界は少しだけ奥行きを持ちはじめる。「存在とは、名づけられて初めて生まれるのか」という問いをこめてみました。 【歌詞】 白い石 朱い線 ひらたい青に 指が触れる 初夏のひかりが 社(やしろ)をなぞる 海までつづく 白い道 地図の青い点が わたしより先に 影を 追い越していく 神さまの季節じゃない それなのに胸が騒ぐ しるしを数えに 来たはずが わたしが先に 数えられてる 誰も呼ばない その場所で ひとつ 輪郭が立つ いるでもなく いないでもなく まばたきの外側へ いのりがなくても 君はそこにいた 白い砂より まぶしいままで 世界の端が ほどけていく 絵馬の並びの 空いた場所に 光だけが 濃く溜まってた 画面の上は ただの平面 なのに君だけ 奥行きを持って こちらの時間を 見返してる 神話の外で ほどけた声 胸の奥へ落ちる 正しさだけじゃ 拾えない まぶしい青さがある いのりがなくても 君はここにいた 青葉の裏で 目を開けるように いま世界が 生まれ変わる 鳥居の影が 薄くなって 白い午後が 息をする もしも世界が 平らなら 見落としたものが 光る 誰かの声になる前の 君を 君のまま いのりがなくても 君はそこにいた 白い砂より たしかなままで 世界のさかいが ほどけていく いのりはなくてもいいと 君が笑った まぶしい午後が 未来に変わる わたしは今 ここから行く [🌟🌟🌟Image Story🌟🌟🌟] 神在月、という。 旧暦の十月。日本中の神々が出雲へ集まる、そのひと月のことを、出雲ではそう呼ぶ。神がいる月。 ところが面白いもので、同じひと月を、出雲以外の土地では神無月と呼ぶ。神々が出払って、留守になる月。 留守、という言い方には、少し引っかかる。 留守というのは、帰る場所を持っている者にしか使えない言葉だ。出かけて、また戻る。その往復が約束されているから、留守になる。約束のない不在は、留守とは呼ばない。それはただの、いない、だ。 つまり、こういうことになる。 同じ十月が、立っている場所によって、満ちた月にも、空っぽの月にもなる。神々が増える側と、減る側。集まってくる中心と、抜けていく周縁。どちらが本当の十月かと問われても、たぶん答えはない。両方とも、等しく本当だから。 ひとつの月のなかに、いる、と、いない、が同居している。 矛盾しているように聞こえるかもしれないが、矛盾ではない。立つ場所が違うだけだ。世界には、どこに立つかで答えが裏返ってしまう問いが、思うよりずっと多い。 出雲が萌える、と土地の人は言う。 萌える。わたしはその言葉を、長いあいだ、芽吹くことだと思っていた。春のはじめの、まだ色の薄い緑が、土を割って出てくる、あれのことだと。けれど神在月は、冬の入り口だ。芽吹く季節ではない。 では、燃ゆ、のほうか。 それも違う気がする。燃えるには、燃やすものが要る。薪なり、紙なり、誰かへの想いなり。けれど出雲は、何ひとつ燃やしてはいない。ただ、人ならぬものたちが、静かに集まってくるだけだ。煙ひとつ上がらない。 芽吹くのでも、燃えるのでもないなら、萌ゆとは何なのか。 ……そのころのわたしは、まだその答えを持っていなかった。 ひとつだけ、わかっていたことはある。 わたしは、集まる側でも、抜けていく側でもなかった。神ではないし、神を待つ土地の人間でもない。ただ、十月の出雲に、立っていた。それだけだ。 集まってくるものを、数える。 そういう役目だった。役目、と言っても、誰かに任じられたわけではない。求人票には載っていない。けれど、誰かが数えなければ、いるのか、いないのかは、わからないままになる。いる、と言い切るためには、数えた者が、ひとり要るのだ。 その年の神在月。 わたしは、数え損ねたものを、ひとつ見た。 神でもなく、人でもなく。集まる側にも、抜けていく側にも、属していなかったもの。どの帳面にも載らず、それでいて、たしかにそこにいたもの。 ……まだ、その話をするには、早い。 ただ、これだけは言える。 出雲が萌えるというのは、芽吹くことでも、燃えることでもなかった。留守の月に、それでもなお、残ってしまった何かのことを、人はそう呼ぶのだと。 わたしはそれを、ずっとあとになって、知ることになる。 * 続く


