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『葵上(Aoi no Ue)』

月の さやけき夜に 御簾のうち 袖ぞ濡るる 誰がために 流す涙ぞ 恋の名残りか 恨みか 恋しき人の 心は遠く 我が身ばかりぞ 取り残さるる 賀茂の祭りの 車争い 押し退けられし 我が袖よ あの女が あの女こそ 我が誇りを 踏みにじり 我が愛し人の 傍らに 何食わぬ顔で 居るぞ憎し 恨むまじと 思へども 思うほどに 胸ぞ燃ゆる 人知れず 流す涙は やがて怨みと なりにけり あな、うらめしや あの女こそ 我が恋を 奪いしものを もう人の身には 戻るまじ この怨み 晴らさでは 葵上よ いかにせむ 我が恋し人 奪いし君 愛しと思えば 憎らしく 憎しと思えば なお恋し 今宵は御簾を 揺らし入り 枕辺に立ち 夢を裂かむ 「いかで逃れむ」 「いかで忘れむ」 我が怨念は 消えぬものを 高き身分も 今は虚し 黒髪乱れて 袖は涙 梓弓に 呼ばれし魂 我が身を捨てて 闇へ出づ 葵の花の 名を聞けば 胸の炎ぞ 燃え上がる その白き袖 その御名を 夜ごと恨みて 追い詰めむ これは夢か 現(うつつ)か 我が身ながらも 恐ろしや されど恋し その御名を 呼べど応えは 返らぬものを ならば我こそ 鬼となり この世の縁 断ち切らむ 嗚呼 悲しや 嗚呼 口惜しや 恋し心ぞ 怨みとなる 泣けど届かぬ 我が声を あの女にも 聞かせむぞ 葵上よ いざさらば 我が怨みをば 受け給え 愛しと思へば 憎らしく 憎しと思えば なお恋し 般若の顔に 月冴えて 御簾を越えて 忍び寄る その夢を奪い その心を惑わし 我が苦しみを 知らしめむ 「いかで逃れむ」 「いかで忘れむ」 恋の焔は 消えぬものを 鬼となりても 恋してゐる 鬼となりても 忘れえぬ 憎しと叫べば 恋しさ増し 恋しと泣けば 怨み増す 葵よ 咲くことなかれ 我が春を奪いし その花よ 葵上よ 覚え給え 我が涙こそ 怨みなれ 我が恋こそ 呪いなれ 逃げ給うな 逃げ給うな 三日月のもと 鬼と化し 汝が夢へと 忍び入らむ 愛しき人を 返さぬならば この身も魂も 捨て果てむ 嗚呼―― 恋の焔は 消えぬものを 法の声 遠く響き 夜の闇へと 消えゆけど 月は知るらむ 葵を憎み 鬼となりし 六条の女の 悲しき恋を…