
死なない蛸 (Death‐Invincible Octopus)
[Instrumental] [Verse 1] ある水族館の水槽で、ひさしいあいだ、飢えた蛸が飼われていた。地下の薄暗い岩の影で、青ざめた玻璃天井の光線が、いつも悲しげに漂っていた。 [Interval] [Verse 2] だれも人々は、その薄暗い水槽を忘れていた。もう久しい以前に、蛸は死んだと思われていた。そして腐った海水だけが、埃っぽい日ざしの中で、いつも硝子窓の槽にたまっていた。 [Interval] [Verse 3] けれども動物は死ななかった。蛸は岩影にかくれていたのだ。そして彼が目をさました時、不幸な、忘れられた槽の中で、いくにちもいくにちも、おそろしい飢饉を忍ばねばならなかった。 [Interval] [Verse 4] どこにも餌食がなく、食物が全くつきてしまった時、彼は自分の足をもいで食った。 まずその一本を。それから次の一本を。それから、最後に、それがすっかりおしまいになった時、今度は胴を裏がえして、内臟の一部を食いはじめた。少しずつ他の一部から一部へと。順々に。 [Interval] [Verse 5] かくして蛸は、彼のからだ全体を食いつくしてしまった。外皮から、脳髄から、胃袋から。どこもかしこも、すべて残るすみなく。完全に。 [Instrumentall] [Verse 6] ある朝、ふと番人がそこに来た時、水槽の中は空っぽになっていた。曇った埃っぽい硝子の中で、藍色の透き通った潮水と、なよなよした海草とが動いていた。そしてどこの岩のすみずみにも、もはや生物の姿は見えなかった。蛸は実際に、すっかり消滅してしまったのである。 [Verse 7] けれども蛸は死ななかった。彼が消えてしまった後ですらも、なおかつ永遠にそこに生きていた。古ぼけた、空っぽの、忘れられた水族館の槽の中で。永遠に──おそらくは幾世紀の間を通じて──或るものすごい欠乏と不満をもった、人の目に見えない動物が生きていた。 [Instrumental] [Outro] [End] Lylics by 萩原朔太郎 (Sakutaro Hagiwara)
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